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1件の議事録が該当しました。

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1948-12-08 第4回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第3号

証人(埴原一丞君) 先程申上げましたように、一九四五年の七月五日に私は樺太の東海岸の栄浜という所が私の妻の里で、そこに私と今年三十八になる妻と今年六つになる子供と三人で妻の里へ行きました。一ケ月後に終戰になりまして、私は直ぐ引揚げようと思いましたところ、赤軍の身許調査がありまして、何のために樺太渡つて來たのだと尋問されました。私は私の職業は東京で小説を書いていて作家である。妻の里がこちらにあるので

埴原一丞

1948-12-08 第4回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第3号

証人(埴原一丞君) 收容所眞岡に一つしかありません。私のは眞岡です。私は樺太の話をしておりますから……眞岡收容所は非常な坂道がありまして、そこの坂道を登るために、ぬかるみで荷物を持つてはとても登れない。自動車は大きな荷物は持ちますけれども、手に持てる物は手に一ぱい持つて自分で歩いて行かなければならないので、大抵荷物を捨ててしまうし、中には倒れて凍傷を起してしまう者がある。非常に悲惨な報道が傳つて

埴原一丞

1948-12-08 第4回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第3号

証人(埴原一丞君) 私は九月十五日に樺太引揚げ、二十日に函館へ参りました。その前に私は終戰約一ケ月前、一九四五年の七月に樺太に渡りまして、それは妻の里ですから、妻と子供三人で渡りましたのですが、ところが終戰になりましてそのまま抑留されました。ですから私の見方は常に軍と一般住民とに分れておりましたけれども、私は軍の方は知りませんけれども、一般住民の樣子を具さに見て参りましたし、又私の働いていた所が

埴原一丞

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